2011年12月06日

5本指のマインドフルネス

 いつも、ちょっとした考えかたを変えるときは、身の回りのほんの小さな習慣も変えることにしてみます。これは、やってみるとかなり興味深い変化を体験できます。

 数日前から、5本指の靴下を履きはじめました。
 哲学的に、ちょっと小さなブレイクスルーがあったものですから。

 で、この5本指、以前から、とりわけ女性の方がワーク等で履いてきているのをお見かけして、暖かそうだなと思っていました。たしかに、足下からゆっくりあたたまり、部屋履きもいらなくなりました。

 けれども、いざ最初に履いたときは、一足で15分くらい、かかってしまいました。私は、手の指と同じように、足の指も第2指と第3指が、癒着しています。ですから、一本づつというと、まるでこころをこめるようにして、履く作業を味わうことになるのです。

 たとえば、まだ回数が浅いものの、それはお茶室で袱紗をたたむときの、ちょっと心地いい緊張と、その後の静まり返ったような感覚に似ています。

 最近、仏教心理学だけでなく、ポジティブ心理学でも「マインドフルネス」ということが言われだしていますが、「今、ここ」にあり、ただ観じつづける、そんな、とても単純で奥深いものです。そして、その、心がしずまり透明になることのおとずれが、なんと5本指の靴下でも可能とは、思ってもみなかったので、静かな驚きを感じています。

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 しかもこの靴下は、ちょとでも角度がずれると、うまく履けません。「うまくやってやろう」と、邪念(?)を持っても、無理。こころをきちんと整えて、なにも考えず、「すっと」した動作となるときに、今まであれやこれやと想いなしていたところからすれば、びっくりするくらいシンプルに、指が靴下に入ってくれます。

 仏教学科を出て、周囲の同学は僧侶の子弟が多い中で学びながらも、ほんの一時期や、今でもお試しくらいにしか、実は「瞑想」をしたことがありません。けれども、マインドフルネスという言葉を知るずっと以前から、私は日々小さなリハビリをしていたので、そのこと通じるものがあると感じてきました。

 たとえば、指をゆっくりと開き、閉じること。
 一個一個注意しながら、シャツのボタンをはめること。
 皿洗いのときに、指の下の汚れの感覚を丁寧に感じてみること。
 空や花をゆったりと眺めて、そのありかたとともに、自分の心のうつろいも観ていること。
 足裏、曲がる膝の感覚、呼吸、身体の傾き、そして心の中の意図や焦り、そんなものをゆっくりとみながら、吊り橋のような不安定な場所をわたってみたり、階段をのぼること......。

 特別なワークなんて、いりません。日常生活がちょっと気をつければ、マインドフルになります。身体が思うように動かない時間が長かった人間の特権だとも、思いません。ちょっとした、一工夫で。

 この、これから愛用しそうな5本指の靴下も、そんな観察のおともに、なってくれそうです。執筆やレクチャーのために、こころをゆるやかにたもちたい季節です。ただいま出版予定の某書、執筆中。師走となり、部屋には、文献ばかりがふえていきます。次は、大掃除ですかね。


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posted by 甲田烈 at 12:43| Comment(0) | ポジティブ哲学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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