2011年12月03日

『スプーの日記』を読む旅(1) 「ニラブー」という現象

 ある本に出会い、その結末のどんでん返しのあまりの面白さや、物語の構成の妙に魅かれて、ついその先まで、まだ読んだことのない人にしゃべってしまいたくなることって、ありませんか。それはきっと、胸に秘めた恋心を、遠くうわさ話という形でもいいから、相手に届けたいという気持ちや、仲のよい兄弟や友だちと同じ推理小説を読みっこして、「絶対に結末を話すなよ!」とたがいに約束しておきながら、つい物語のラストを口走ってしまうような、陽気ないじわるに似ています。伝えたいのに、伝えたくない、あまりに素敵なので、もったいない。そんな、アンビヴァレントな感じ。

 全3巻からなる『スプーの日記』シリーズ(http://studiomog.ne.jp/lineup/sput/)は、私にとって、そんな出会いとなる本たちでした。
 物語は、主人公のスプーによる「日記」というスタイルで進んでいきます。ですから、懐石料理みたいに、ちょこっとずつ味わえるのですが、絵の魅力もさることながら、物語のクライマックスまでいっきに連れられて、読んでしまいます。そして、困ったこと( 愉しいこと?)に、読み返すたびに、新しい発見の喜びがあるのです。

 そんな発見のいくつかを、作者のなかひらまいさんの許可も得て、ここでわかちあいたくなりました。
 私は、ふだんから、東洋や西洋の哲学について学んでいます。そしてとりわけ、「妖怪」という現象に関心を深く持っています。
 出身校である東洋大学の創立者てある井上円了(1858-1919)は、れっきとした哲学者なのですが、その透徹した思索と自らを育んだ仏教の素養をベースとしながらも、当時の物理学や心理学、教育学などの叡智を駆使して、「妖怪」に挑んだ人でした。彼の遺した膨大な『妖怪学講義』は、最近NHKの番組で取り上げられたりして、徐々にその価値を認められてきていますが、まだまだ深くは研究されていません。

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 井上妖怪学を、単にその場の妖怪ブームやオカルト趣味に回収されることなく、「哲学」として継承できないか、と、私は考えています。ところが嬉しいことに、なかひらさんのこのシリーズは、そんな「妖怪」の秘密を、解き明かしてくれているのです。「妖怪」だけではありません。人間のこころの働きや、そのこころが起こす不思議について、物語の枠を維持しながら、自由に遊び回れる空間を開いてくれました。

 ここでは、ちょっとだけその空間を間借りして、私も遊んでみたいと想います。

 まず、なんといっても、「妖怪」から。
 『スプーの日記』シリーズでは、「物の怪」「魑魅魍魎」「妖精」「妖魔」などと、同等にあつかわれています。
 当然、その中には、名前がつけられているものも、いないものもあります。まず、名前がつけられているものの代表格が、ニラブーです。下記画像がニラブーちゃんですが、一般にいう「物の怪」のイメージとは違って、かわいいですね。

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 ところが、このニラブー、こんな登場のしかたをします。

 「怪奇現象を起こしているのは、どうも物の怪たちのように思われる。物音を立てたりといった“いたずら”をするだけで、悪さをしないからだ。うすぼんやりと、黒い“モヤ”のような姿が見える。これは、人間の幽霊とは、少しちがう。ニラブーの類いだろうか。ニラブーとは、この地方に昔からいるといわれている妖精だ。妖精というより森の精霊のようなもので、どちらかというと日本の“河童”に近いのかもしれない」(1:76)。

 風もないのに、大風が吹くような音がしたり、窓枠ががた、ぴしっと鳴ったり、部屋の中でシャッター音のような音がしたり、なんだかもやっという雰囲気を感じる、ここでは、そんな現れ方をするものを「ニラブー」と呼んでいます。作中では「河童」に近いなんて、説明されていますね。でも、日本の河童は、子どもや大人を川の中にひきずりこんだり、相撲をやたらと好んだり、声だけでひょうひょうと秋の深山にわたっていったり、奇妙な足跡を残したりしますが、「ニラブー」たちのいたずらは、どちらかというと、日本の「家鳴り」という小鬼に近いものか、ヨーロッパの「ポルターガイスト」(騒ぐ霊)に近いものです。それに、河童はときどき農作業を手伝ったりしますが、ニラブーはスプーのおばあちゃんに薬草やハーブのありかを教えてくれても、日々の家事手伝いはしてくれそうにありません。

 ところで、井上円了はこうした「家鳴り」について「妖怪宅地」というなんともユニークなカテゴライズをして調査し、それが木造住宅の木が呼吸する音や、台地など地形と関連する共鳴現象ではないかと、説き起こしています。

 「妖怪」とか、「妖精」って、いったい、なんなのでしょうか。
 私は、それを「異常・不思議な現象」だと広く考えています。
 「現象」とは、「現れ」のこと。今目の前にある机も、自分の身体も、パソコンも、あれこれ考えている自分というものも、あらゆる立ち現れているものを意味します。哲学者のデカルトは、「我思うゆえに我あり」といって、いろいろなものは疑えても、疑っている自分の存在は疑えないと考えて、近代哲学の祖となりました。けれど、20世紀のフッサールという哲学者は、「いいや、疑っている「私」も疑える。それもまた現れなのだ」と言います。「私」も含めて、ありとあらゆるものが「現象」です。そして「妖怪」というのは、その立ち現れの中で、とりわけ不思議な「現象」のことをさすと考えられます。

 こういうふうに考えてみるメリットは、実は2つあります。1つは、オカルト論争に巻き込まれなくなります。よくある、霊は実在するかとか、そんな話はどうでもよくなります。なぜならば、何かが「実在」するとは、無自覚のうちに、自分の主観と客観的な外の世界を分けて、後者こそ真実だという態度に由来するのですが、それもまた「現象」であるとすれば、絶対確実な「真実」ではなくなるからです。また逆に、とのように、この世ならぬものを「見た」り「感じたり」したとしても、それはその当事者にそう立ち現れた出来事であって、それだけで誰でも通用するものではなくなります。第2に、学問的には、自然科学的「視点」と意味や価値の領域に関わる「視点」を等距離で扱えるようになることです。

 そうすると、「妖怪」について考えることや調べることが、愉しくなります。

 話を「ニラブー」に戻しましょう。
 「ニラブー」が実在するかどうか、これは物語の中の設定なのだから、もちろん問う必要はありません。けれども、その一方で私たちは、奇妙な物音がしたり、なにほどかのうすぼんやりとした気配を感じるときに、そこになにかが「いる」と思えることは、あるのではないでしょうか。その感じ=現れを、形にしたのが、「ニラブー」なのではないかと、私は思います。
 
 「ニラブー」とは不思議な現象です。ですから、「実体」はありません。
 ですから、スプーのものの見方・感じ方が深まるにつれて、現れる姿を変えていきます。
 たとえば、最初は「黒い“もや”」のように思われたニラブーは、物語の中盤で、スプーが死者の森のおばあちゃんの家に向かうときには、まず言葉がかわせるようになっていきます。そして、「おばあちゃんは、生きていたときから、緑色のかわいらしいニラブーが見えていたという。わたしは、黒い物の怪にしか見えなかった。きっと邪念があるからでろう。まだまだ修行がたりないね」(1:92)とスプーも思うようになります。この緑のニラブーは、「森のよい香り」(1:102)で、スプーを癒してくれます。またニラブーは、シリーズ3部作を通して活躍しますが、決してよくありがちな物語のように、スプーの味方をするものとはなりません。

 ニラブーには、精霊の世界の理があります。
 第3シリーズでは、なんと黄色いニラブーたちが、街を混乱させていたヤマタノオロチがはじけると同時に、いっせいに光の玉となってはじけ飛びます(3:165)。それもスプーが、黒魔術について、ある貴重な気づきを得た直後でした。

 この他にも、スプーの物語には、実に魅力的に不定形な立ち現れの「感じ」が描かれています。たとえば、2巻でスプーの開いたチャーム・ストアーに立ちこめ、やがてスプーがそれと格闘することになる「黒いモヤモヤ」(2:24)、いつも覇気のないストアーの訪問者・シュー君に取り憑いている「黒いいも虫のようなもの」(2:18)、3巻で「ジメジメした緑色をして、中には火のように燃えているものもある」(3:104)と描かれる「妖魔」。やがてその形がはっきりしてくる「化けもののおそろしい気配」(3:43)。

 繊細な、不気味な、ぞっとする、そして時には癒されるような「感じ」の世界。スプーの物語は、見るものの視点と、そこに立ち現れる風景との間にうまれる、そうした生起に満ちあふれています。
 キャラクター化した妖怪たちではなく、原初的な「妖怪」現象を上手にとらえているこの物語は、そのこと中軸に、奥深い世界への入り口になっているのです。

 そしてこのことは、スプーが研究している、「魔術」にも言えます。ここでも、あっと驚くような「魔術」に対する原理的な説明がおこなわれています。Blog連載の2回目では、この問題についてとりあげてみましょう。

米来る12/8(木) 19:00〜、代々木上原の金壺堂にて、スプーシリーズの作者、なかひらまいさんと対話しながら、縦横にその作品世界を旅してみたいと思います。ご興味のある方は、詳細についてはこちらをご覧ください。→http://nakahiramai.blogspot.com/

米なお、『スプーの日記』からの引用は、(巻数:ページ数)のように表記しています。
posted by 甲田烈 at 23:43| Comment(0) | 妖怪学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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