2015年12月01日

なにかいるという感じ : 水木しげる氏の訃報に接して

まだもっと長生きされるのではないか、と書いては、いかにも平凡に過ぎよう。古代出雲について漫画を出版し、その後作品の全集が刊行されだしてから、「まとめ」の仕事に入られているのではないかとはかんがえていた。そして、いつも末尾の軽妙でいて、深々とした「あとがき」の類いを愉しみにしていたはずのある本に、そのあとがきが無かったときに、もしやという予感をかんじたことは否めない。

 それは、2014年刊の『決定版 日本妖怪大全』である。900頁余りの大著の、書かれざるあとがき。

 水木しげる氏の訃報を知ったときに思ったのは、そんなことだった。

 水木しげるといえば、「妖怪」である。

 もちろん、訃報に接して惜しむ声をみると、生きた戦争体験者として『総員玉砕せよ!』をはじめとする戦記ものや、鬼太郎、そして社会風刺的な作品など、多面的にとりあげてよいことがある(私は短編は特に好きだ)。

 しかし、いや、けれどもだからこそ、「妖怪」である。

 とりわけ私たちの世代にとって、1974年に小学館から出された『妖怪なんでも入門』の強度は圧倒的だった。小学生時分に、そして今でも、食い入るようになんどもなんどもながめた。

 相当、ハイレベルな内容である。
 なにせ巻頭の「妖怪の味わいかた」から、当人も学校時代に「妖怪の目」で世の中をみていたと書かれ、「金もうけで忙しい人には見えないものらしいですナ」とつづけられる。そうして、第1章「妖怪を知るための七つのポイント」には「現実には目に見える世界だけが世界ではない。もうひとつなにかがあるんじゃないかというきもちが大切である」と説かれる。内容の妖怪画もさることながら、私はこれにひきつけられた。また、同書の中で水木しげるは「いる」もの、そして「つくったり感じたり」するものを「妖怪」と定義している。

 その後も水木氏以前も、「妖怪」をめぐる定義は多く、専門的な論争にもなっている。
 しかし、これほどシンプルでかつ美しいそれを、私は知らない。

 水木しげるは、「感じ」を手放そうとしない人だったように思われる。それはたとえば、1992年の『カラー版妖怪画談』での「奇想を楽しむ日々」では、こんなふうに展開される。「神様と妖怪、あるいは幽霊と分けてしまうと、逆に本質を見失う。神様も幽霊も妖怪もみな親類、すなわち霊的なもの、霊々(かみがみ)の世界、いわば目に見えない世界の方々である。......すなわち、それは感じなのだ」。

 「感じ」ということは、感覚的経験を所与とするということとは、違う。水木は、たとえば海外でも精霊の木像について、金儲けのためにつくられたものか、それとも真剣に彫りつくられたものかということを即座に見抜き、前者については目もくれなかったという。そこに表現されようとしているもの、いや、感じられるべく、眠っているもの、目に見えないことから、見えるということにおいて立ち現れているもの、それが、「感じ」なのだと思う。それは、感覚されるべきもの、なのだ。

 こんな言葉を浴びせられ、絵に入り込むことは、静かな愉しみである。それは、生きていくうえでも「感じ」に歩みいるたしかな手がかりになるからだ。
 
 そういえば水木しげるは「奇想」の末尾近く、「我々はもともと“霊々(かみがみ)の世界”からやってきたものであり、そして“霊々(かみがみ)の世界”に去ってゆく存在なのだ」と書いている。
 自身の作品の中で何度も「水木」を殺し、また近年は反復するように自伝的作品を描きつづけ、「水木サン」というとても非人称的な呼びかたで自身を表現しつづけた者の、言い得る言葉かもしれない。

 いよいよ、“霊々の世界”に還ったのだろうか。
 もとより一ファンにすぎないが、正直亡くなったことを知ったときは、なにか哀しいような、安堵したような、妙な気持ちになった。ずうっと「家鳴り」のする、変な一日だった。
 
 哀悼の意の言葉は、すでに書いた。しかし、「妖怪」を愛好するものにして、もっともふさわしい態度は、水木しげるに開かれた「感じ」の中に踏み入りつつ、書かれざるあとがきを書きつぐようにしていくことなのかもしれない、と感じている。

 どうしても書きたくなる文章を、たまにはものしてみる。
 そして、妖怪は、愉しい。
 
 
posted by 甲田烈 at 00:20| Comment(0) | 妖怪学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする