2015年05月17日

人間の息吹がかようチーム論: 西條剛央『チームの力: 構造構成主義による"新"組織論』(ちくま新書、2015年)を読む

 とても面白い本で、一気に読めてしまった。
 読後感を一言でいうと、「息吹がある」感じである。面白いといっても、本には二種類あると思う。一つは、あたかも休日の昼下がりの読書のように、「ああ、いい話をきいた」というだけで、細かい話などは忘れて、いくつかの警句だけを頭に残して、そのうちに忘れ去られるようなものと、そうではなくて、読み手を行動に触発すると同時に、自分の頭でかんがえさせる類いのものだ。
 そしてこの本は、後者にあたる。

 なぜか。
 そこには、「人間」がいるからだ。この本は、人の息吹が通うチーム論、そういうふうに言い換えてもよい。チームとは人が作るものなのだから、あたりまえではないかと思われるかもしれないが、このあたりまえを実践の場から徹底的にかんがえぬき、なおかつその成果をシンプルに表現しているのが本書なのである。それは、単なる海外の組織論の紹介や、個性の強い経営者や監督による個人神話の色彩の強い体験談のような「個別理論」とは異なるということだ。

 本書は、著者が代表をつとめたふんばろう東日本支援プロジェクトという日本最大級のボランティア組織の具体的活動例と照らし合わせながら、著者が培ってきた構造構成主義という哲学上の原理をアップデートし、「あなたの目的に応じた”チーム”の作り方」(p.22)を論じたものである。それは同時に、”希望”を作る力であるとも示唆される。

 ところで構造構成主義とは、「物事の本質からなる原理を把握する学問であり、価値の原理、方法の原理、人間の原理といった原理群からなる体系である」という。そしてここでいう「原理」とは、「いつでもどこでも論理的に考える限り、例外なく洞察できる普遍洞察性を備えた理路を指す」(p.20)という。
 これは著者の前著を読んでいなければ、とても凝縮された難解なフレーズにきこえるところだ。しかし第2章で価値の原理、第3章で方法の原理、第4章で人間の原理、と豊富な具体例とともに説明されることで、輪郭は浮き上がってくる。

 たとえば第3章では、「方法の原理」が「現場に役立つ哲学」(p.104)という文脈で説明される。それは方法の有効性は、状況と目的に応じて決まる、というものだ。だからどんな状況にも対応する絶対的に正しい方法はない、ということになる。
 被災地においては、避難所の統廃合や道路の開通など、時々刻々と状況が変化していた。またそうした状況下において、数多い避難所を回りきることはできない。だから、まずは現地で聞き取った必要な物資の情報をHPに掲載してtwitterにリンクし拡散⇨その仕組みを一枚のチラシにまとめてHPからダウンロードできるようにして、現地に行く人にチラシも配ってもらう、というように、状況に即応した方法を機能させることができたと著者は述べる。
 またこの章では、現在の組織の問題としての前例主義をもたらす埋没コストについても、関係者の関心(たとえばそれまでに積み重ねてきた信頼や実績、投入した資金)の持ち方という観点から、わかりやすく説明されていて、説得的である。「状況によって正しい方法は変わる」(p,118)のだ。

 そして第2章ではチーム作りに役立つ原理として「すべての価値は目的や関心、欲望といったものに応じて(相関して)立ち現れる」(p.61)という「価値の原理」が解き明かされている。
 興味深いのは、ここで著者のリーダーシップ論が展開されていることだ。リーダーシップは組織心理学においても謎の多い領域だという。ビジネス書の棚にいれば、数多くのそうした書物をみつけることができるが、日本人のリーダーシップがそのために向上したということはない。
 なぜか。著者によれば、従来のリーダーシッブ論は科学的研究の罠にはまり、それだけではなく、さまざまな知見やノウハウを使いこなすためのメタ方法論もなかったという。「どういう状況で何をしたいのかを抜きに、どういうリーダーがよいリーダーか、あるいはどういうリーダーシップがよいかを論じることには意味がない」(p.68)のである。人間は欲望や関心に応じて行動するから、他者のふるまいをみていても、その人が本心ではなにをしたいのか=関心を鋭敏に読み取ってしまう。だから、ここでは小手先は通用しないということも述べられている。

 科学的に平均化されたリーダーシッブ論ではなく、こうした一人ひとりの個人に着目する立脚点は、第4章の「人間の原理」の説明でダイレクトに示されている。「すべての人間は関心を充たして生きたいと欲してしまう」(p.151)。ゆえに、機能するチームにおいては、当人のパフォーマンスである「能力」のみではなく、チーム構成員の「関心」も考慮した適材適所の仕組みとしかけが、ここでも多数の例をもとに紹介されている。

 また本章では、そもそも著者が構造構成主義を開発する動機となった人間科学という学際的領域における諸流派の信念対立といった問題が、ボランティア同士の信念対立といったケースを中心に説明され、その克服の方途も示されている。
 たとえば、現地と窓口のあるグループは、ニーズが聞けるために、現地に物資を多く届けたいという関心が生まれ、寄付を多くの方から募る窓口では、支援者の声が多く届くために、支援者の声により多く答えたいという関心が生まれる。このときに、どちらが正しいと言い争っても意味がない。良い/悪いという価値判断をベースにするのではなく、その価値がつとくられるにいたった関心や契機(きっかけ、経験)までかんがえることで、「認め合う」ことや「棲み分ける」可能性が開かれてくることを著者は強調している。

 お開きとして、評者の関心から、二つのことを簡略に述べておきたい。

 まず第一に、評者はふんばろう東日本支援プロジェクトの、ごく地味な末端のひとりとして短期間携わった経験がある。そのためにこの評言が、極度の肯定的な色メガネにわずらわされていないか、ということに留意して、できるだけ書かれた理路の中で納得・感銘を受けたところを紹介したつもりである。それでも、バイアスがかかっていることを畏れるものであることを明記しておきたい。
 しかし、こうした個人的な関わりを超えて、現在、閉塞している組織の有効な代替案としても、将来の日本のありかたをかんがえる上でも、本書がより多くの人に読まれてほしいと思う。

 そして第二に、これはより評者の関心に惹きつけてのことであるが、この組織・チーム論は独自の継承・発展の可能性を持つと思う。
 本書を読み終えて、実は奇妙な懐かしさにとらわれた。それは、たしかに提示されている立脚点は斬新でユニークでもあるが、この日本列島でしなやかな組織が構想されたときに、たえず非明示的にではあれいかされてきた原理だったのではないかということだ。従来の日本の組織論においては、定住と農耕をモデルに、その弊害ばかりが指摘されてきた。

 しかし、たとえば、網野史学などの成果が明らかにするように、諸国を遍歴した宗教的職能者や芸能民の活動や、また歴史的に遡れば縄文期の交易の痕跡にいたるまで、わが国には「しなやかな」組織の系譜というものもあったように思われる。このように、構造構成主義の原理群を補助的な「視点」として、日本の古くて新しい組織のありかたについて、歴史的事例に即しつつかんがえてみることもできるのではないだろうか。

 この本は、そうした意味でも発想と実践の宝庫であろう。


チームの力: 構造構成主義による”新”組織論 (ちくま新書) -
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posted by 甲田烈 at 15:08| Comment(0) | 非人称的アプローチ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする