2013年12月31日

大晦日にヒーリングハープを

 ユング心理学研究会で知遇をえた所れいさんから、11月に素晴らしいご本を送っていただいた。
http://www.amazon.co.jp/%E6%82%B2%E3%81%97%E3%81%BF%E3%81%8C%E6%B6%88%E3%81%88%E3%81%A6%E5%96%9C%E3%81%B3%E3%81%8C%E6%BA%80%E3%81%A1%E3%82%8B%E3%83%92%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%97CD%E3%83%96%E3%83%83%E3%82%AF-%E7%B6%B4%E8%BE%BC%E4%BB%98%E9%8C%B2-CD1%E6%9E%9A%E4%BB%98%E3%81%8D-%E6%89%80-%E3%82%8C%E3%81%84/dp/4837662889/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1388449460&sr=1-1

 『悲しみが消えて喜びが満ちるヒーリングハープCDブック』(マキノ出版)である。
 
 CD付きのムック本、というのは、とても類書が多い。なかには、間に合わせに創ったのではないかと思われるものもあるし、それに誇大広告のようなものさえある。

 けれども、この本は地味で誠実な創りをしている。
 それは奏者が学究でもあるからだろう。
 所さんは1999年にアメリカで「ミュージックプラクティショナー」の資格を取得している。これは「病気の人のベッドのかたわらで静かに音楽を演奏することで、気分を和ませたり、症状による痛みを緩和させたりするための手助け」(p,11)をすることだ。これは全体的に音楽療法の文脈にある。音楽療法の医療的効能として(1)血圧や呼吸を落ち着かせる、(2)痛みを軽減する脳内物質のエンドルフィンの分泌を促す、(3)免疫力を高め、治癒を促進するたんぱく質のグロブリンなどを増加させることがわかっており、この本の中でも医師の飯森洋史の協力による、6名の被験者に対する実験が報告・紹介されている(pp,26-29)。

 けれども、所さんのメッセージの核心は、そんなところにはとどまらない。
 セラピー(癒し)とアルケミー(心の変容)。

 医療的な諸効果が「癒し」に属するのだとすれば、具体的に人が前向きな心やほんとうの輝きを思い出し、具体的な行動で人生を切り開いていくのが「心の変容」だろう。そのなかには、寝たきりの患者さんが演奏を聴いたあと、歩行訓練を始めたというような(p,30)、感動的な例さえある。
 飯森氏は慎重に「未知数の可能性」(p,29)と表現し、中村泰治氏も「「癒す力としての最も重要なエッセンス」として「演奏者の「心」」(p,33)をあげるように、所さんは「アルケミスト」なのだ。

 この本には40分あまりの演奏が収録されたCDがついている。
 曲目は地・水・火・風・木・金・天。
 以下、曲を聴いて自由に湧いたイメージを記してみる。

 地。これは宇宙から地球を観るというより、大地の底から、翻って天空を観るようなイメージがわきあがる曲。
 水。「川」と書かれているけれども、「小川」に違いない。この流れに、ちょこっと顔を出す小石たちも協力している、そんな感じ。
 火。これは燃える「火」そのものではない。火の粉である。火の粉たちが、踊りをおどっている。だがそれはたしかに勢いを持っていて、薄灯りの気流を作り出す。
 風。空間に織り込みをもたらす春風。
 木。地上にはりひろげられる枝や幹といったことだけでなく、なぜか地下茎の「ざわめき」が聞こえてくるような曲。
 金。これは旅のような音色。きっと錬金術とは、物質から金を錬成するという表象とは裏腹に、自己の奥への「旅」を意味する。
 天。虚心坦懐に聴いてみて、本の解説と現れたイメージが一致することに納得した。「螺旋」だ。けれども、それだけではない。

 これらは、勝手に曲を聴いてイメージしたもので、幾度も聴いていれば、また違ったものも沸いてくるだろう。実際、何度か聴くことが推奨されている。

 ふだん、私はあまり音楽を聴くことがない。だから良い聞き手とは言えないだろう。
 そうであるから、なおさらなのか、「癒し」という言葉がともする爛熟し、平板化するなかで、「アルケミー」にも基盤をおいた、こうした営みの生成を、とても愉しく思うのだ。

 年末年始、ヒーリングハープにひたってみるのは、いかが。
 そしてみなさま、良いお年を。


 
posted by 甲田烈 at 10:35| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ジャンクション・シティ

 それは突然のメールだった。

 お店の方からだ。

 もう数日後には閉店するという。こちらにとっては、あまりに突然。
 実際には、年末まで営業しているということだったが、とるものもとりあえず時間を創り、この22日に珈琲を飲みに行った。
 しゃっちこばった御礼は、得意ではない。
 もうどうしても、珈琲を飲んでおきたかった。

 ジャンクション・シティ。
 洒落た名前の、カフェである。
 初めてその半地下の場所に向かう階段を見たときは、ちょっとびっくりした。そのようなところに、今まで行ったことはなかったからだ。店内の意外な広さと落ち着き感が印象に残っている。
 2010年末、仏教心理学の講座を機縁として親しく交流することになった脚本家氏に、このお店を盛り上げたいという話を聴いた。妖怪cafeは、そこからスタートした。仏教なのに、妖怪の話ばかり。始めは訝っていた氏も井上円了の話を通して、徐々に興味を持ち始めたようだった。

 きっと勉強会や講座形式の場所貸しとしては、破格の条件。
 最初は、誰もこないだろうと思っていたが、あの震災を境に、人の足が繁くなり、7〜8名という具合に、続いてきた。
 いろいろな話をした。
 ここから広がる、ご縁もあった。
 最初は毎月、最近は隔月。
 たしかに震災で、なにか異界の蓋が開いたのだ。
 そのことは、報道レベルではともすると風化しかねない昨今の状況においてさえ、思うことだ。
 
 人は、己のひたと向かいあえないものを、禍々しく思い、排除しようとする。しかし禍々しいと思われるそれは、隠されつつ現れる生の事態なのであり、人の他ならぬおいたった根源を指し示す。妖怪が、単に面白おかしいキャラだと思ったら、おおまちがいだ。それは、世界と人間の奥処に通じている。
 そういう想いを、参加者と共有したいと思った。

 ジャンクション・シティのある中野という場所を少し歩くようになって、感じたことがある。この土地には、細かい襞がある。決して派手とはいえないその装いは、折り畳まれたその陰と光のきらめきからやってくる。妖怪にふさわしい、土地ではないか。中野、という土地にまだ縁があるのか、ないのか。

 ジャンクション・シティの閉店にともない、これから新生「妖怪cafe」の場所も探したいと思う。継続希望の声も、大きいと思われるからだ。

 ただ、新たな場所では、これまでよりも一人ひとりの関心に寄り添う形を、とりたいと思う。
 各人が、各人として妖怪に触れ、もちろん私もより多く学んで行くために。

 ありがとう。ジャンクションシティ。

 一杯の珈琲は、とても愛しい。

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posted by 甲田烈 at 06:06| Comment(0) | 妖怪学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする