2013年09月24日

【報告】妖怪cafe第4回・開催の報告と御礼

 昨日は、西武新宿線の武蔵関駅での人身事故の関係で、30分遅れのスタートでしたが、無事に妖怪cafe第4回を開催することができました。他の参加者の方には幸いにして事故の影響による遅れや不参加はなく、連休最終日にもかかわらず、新しい参加者の方も含めて8名もの参加でした。みなさま、ありがとうございます。
 それにしても、西武新宿線の事故というものは珍しい気もします。一度警察と消防で救出活動を行い、すんだと想いきや、再度現場検証に入ったという車内アナウンスが流れ、事故の雰囲気が濃厚だったため、急遽ルートを変えての会場到着でした。西武線の運行は深夜まで乱れておりましたが、遅い時間でも乗り換え客の対応をしっかりしていたのは、さすが、と思った次第。

 さて、妖怪cafeは、新規参加者もおられたために、まず井上円了の全体像にふれることから軽くスタートしました。
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 多彩な顔を持つ円了ですが、今年は円了の妖怪学の思考を紐解きつつも、「妖怪を深く味わい、考える」ということを基本に、話をすすめています。毎回、円了の文章をみなさんで読んでみるのですが、今回はこんな感じ。
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 円了は「幽霊」もまた「現象」であると考えています。その幽霊論のポイントは、幽霊をそれが立ち現れる条件(円了はそれを仏教哲学の用語としては「縁起」を意味する"事情"という言葉で示しています)を中心に考え、霊魂の問題を「真怪」に結びつけている点です。

 とはいえ、古典的な説話集から近世の怪談、そして現代のJホラーや現代民話まで広くみた場合、「幽霊」の具体的なたち現れの諸相も一様ではありません。
 たとえば、近世にはこんな「幽霊」がいました。
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 「逆さまの幽霊」は歌舞伎のモティーフにもなっていますが、もともとは死しても復活しないために「逆さま」にして殺害されたものが、なおそのままの姿で立ち現れたさまを示しています。けれど、逆さまのままでは川を渡れないために、船乗りに頼むという、微妙に切ないストーリーです。しかしこの逆さま。なんでも逆になるというアイヌのあの世観とも、もしかしたら通底しているのかもしれません。

 また、「幽霊には足がない」というイメージは今日でも主流ですが、そのようなイメージは1600年代に「産女」の図像イメージとともに誕生したもので、説話集である『今昔物語集』巻二七や、『北野天神縁起絵巻』では生前の姿と変わらない足のある幽霊が描かれています。

 また、被災地で体験される「幽霊」譚には、NHKでとりあげられた「白い花弁」の話のように、亡くなった人の姿・形があらわれるのではなく、なにかを暗示させる「瑞々しい」ことが印象に残るような花弁に気づかされる、ということもあります。

 さて、広く「幽霊」譚を探り考えてみると、「幽霊」とは「触覚」をめぐるコントラストを特徴とした諸経験のように思われてきます。触れるはずなのに触れられない。触れられないはずなのに触れられる、なにもないはずなのに感じる、そこにあるはずの姿がない、など。こうしたことは、共通する本質のように思われます。

 参加者の間では、活発なシェア・討議がかわされました。
 とりわけ印象に残ったのは、3.11以降、被災地の体験談が知られるようになってきたことも受けて、従来の記号=表象に重点をおかれてきた「妖怪研究」のありかたが変わっていくのではないかということや、「幽霊」はこの世になくてはならないということなど、でした。

 次回は11/25(月)予定ですが、自然の植物や鉱物と人間との関わりから妖怪について考えてみたいと、今のところは考えています。
 踏み込むほどに深く愉快な妖怪の世界を、今後とも解き明かしていきたいと思います。
posted by 甲田烈 at 18:46| Comment(0) | 妖怪学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする