2013年05月22日

名草の風と妖怪と(1) 和歌山旅日記・講演会拝聴編

 5月4日の夜に東京を発ち、7日の夜に向こうを発つという往復の日程で和歌山に行ってきた。
 久しぶりの、遠距離の旅だ。
 震災以降、支援活動に関わりながらも、体調は思わしくなく、なんとなく澱んだ日々。
 そんな感じが、いっきにふっきれた旅だった、とふりかえって思う。

 それはきっと、名草地方の風にあたり、ふたたび生きた妖怪たちと出会うことができたからだ。この土地はクールで、しかもあたたかい。そんな気がした。そういう風土に「触発」されたと、言い換えてもよい。
 そうした契機は、東京ではあまり味わえない。

 旅でであってきたことどもについての、以下は私見でしかない記録である。

 名草戸畔(なぐさとべ)の伝承を知ったのは、2011年の初夏だったろうか。すでに著書を出版されていたなかひらまいさんのことを、共通の知人であるとある研究会の会長さんに紹介していただいた。今はないが、お洒落なお茶屋さんである。そのとき、私は学生から毎年書かせているリアクション・ペーパーの中から、妖怪・怪異体験談のいくつかを取り出してお見せしたと思う。そのとき、『スプーの日記』とともに、『名草戸畔 古代紀国の女王伝説』が机上にあった。緑色の素敵な表紙であり、「名草戸畔」は一度見たら忘れない文字である。そのときは、「妖怪」の話で盛り上がった。そしてスプーを先に読ませていただくことになり、ご縁で小さなコラボイベントもさせていただくことになった。名草は、後回し、ちょっと関心から遠のいていた。

 正直に、古代史をフォローするのは大変だ。今でさえ、哲学・心理学・妖怪の方面の興味・関心があるのに、「歴史」が加わったら、えらいことになるのは目に見えている。しかも凝り性の私のこと、読めばハマるに、きまっている。それで、遠ざけておいたのだ。

 失礼ながら、ずいぶんと遅れて名草本を読んだ。一度読んだきりではわからない。けれども、小野田氏の「口伝」や樹木信仰のくだりは、興味をひいた。長らくトランスパーソナルを含めた心理学の世界や、ようやく思考を先に進めようとしていた現象学では触れにくい世界が、そこにあった。もともと民俗学は好きなので、素直にいえば、そこと地続きの世界だ。しかし当時は体調も良くなく、「禁欲」というものだろう。深入りはすまい、こういうものか、くらいに、思っていたのである。

 ところが、和歌山でなかひらまいさんと小野田寛郎氏の講演会がある、という。ちょうどその数ヶ月前、とあるご縁で実現しかかっていた和歌山旅行が、ダメになったばかりだった。しかし、だんだんと体の調子がありがたいことに良くなっている。「行こう!」と決めた。

 またこれより少し前、やはりなかひらさんを通じて『おしえてわかやま 妖怪編』を知り、故松下千恵氏の挿画に魅了されるとともに、伝承のもともとの事例を知りたくなり、調べてみようとも思っていた。

 講演会の参加と、妖怪探索。旅に出るのには、じゅうぶんな理由だ。
 震災前からしばらく休止していたフィールドワークも、新たに再開できると思った。

 講演会において、魅力的なのは、「口伝」である。
 正史に決して記されていない「物語」が、土地の、家の大切な伝承として代々伝えられてきたということは、こうした本や民俗学の論文等では知っていたことでである。が、小野田寛郎氏というと、ルバング島からの生還や種々のエピソードで注目されがちであるけれども、伝承保持者でもある。
 その方のお話を公開の場で聞ける。ご高齢なので、そうない機会でもあり、これは面白くないわけがなかろう。
 
 夜行バスは新宿を夜の11時にたつ。到着は8時半ころ予定。胸ときめかせながらも、ゆっくり寝ていればいいや、という感じでいたのですが、意外と早めに和歌山駅に着いてしまった。
2013-05-05 07.35.58.jpg

 JR和歌山駅のバス発着所の反対側に地下通路を抜け、けやき大通りをとにかくまっすぐ歩いた。途中、腹ごしらえをしたかったのだが、お店はどこも開いていない。途中、郷土資料に強いという「宮脇書店」さんの位置を確認し、講演会場となる「アパローム紀ノ国」との位置関係も測りつつ、すぐ和歌山城近辺についてしまった。
 2013-05-05 08.09.02.jpg

 ちょうど、駅から並行してのびている三年坂通り沿いにパーガー屋さんがあることを駅前の地図で確認していたのだが、そこも行ってみると開店に間がある。ふらふらと側の岡公園に時間をつぶしに立ち寄ると、「刺田比古神社」の文字が目にとまった。
2013-05-05 09.36.11.jpg
 また、そこに向かう途中、「紀州徳川神社」があった。八大龍王を祀っているらしい。ここまで来たので、お参りせよということか。
2013-05-05 09.33.03.jpg

 すでにしてこのとき、この旅が神社巡りになることが予告されていたのかもしれない。けれど、そんなことより腹ごしらえだ。三年坂のバーガー屋で朝食をすませ、少し離れた宮脇書店に戻った。郷土資料コーナーには友人の本がなんと平積み。目当てのものはなく、古書店もあたりがつけられなかったのだが、「名草戸畔」はやはり目をひく。さすがに書店内でデジカメをとりだすのは、はばかられたが。。
 2013-05-05 10.23.50.jpg

 少し暑くなった日差しの中、面白看板探しで気持ちを励ましつつ、次は県立図書館探しをした。親切な方が道を教えてくれたが、徒歩ではきついという。講演会の時間との兼ね合いもある。
2013-05-05 11.02.27.jpg

 結局、講演会場から県立図書館の距離を考えると、徒歩で立ち寄ってもすぐとってかえさなければならないことがわかり、会場ホテルのcafeで予習がてら友人の本を再読するという、ゆったりコースに変更。
 けれどすでに一時間前くらいから人が大勢いて、盛況が予想された。そこで、30分前には会場の鳳凰の間に移ることにした。会場内はもちろん撮影禁止。しかし首をふってみまわすと大変な人の数。本日は満席の予定というアナウンスが流れる。
 
 講演会は密度が濃く、あっという間だった。
 最初の10分間で、なかひらさんの簡明な「名草戸畔」伝承の解説が入った。名草戸畔は古代の女性首長(とされている)。まず正史に記されたものとして、神武東征服のおりに、『日本書記』にはたった一行のみ殺害の記載があること、それとは異質な小野田家に伝わる口伝と小藪台(郷土史家・小薮繁喜氏が保存していた名草戸畔伝承を演劇化した台本本があること、江戸末期の『紀伊名所図絵』における挿絵について。

 そのあと、小野田氏の滔々とした熱弁が始まった。声はイメージしていたより優しく、ひょうひょうとした人柄が伝わってくるものだった。
 驚いたのは、小野田氏が立ったまま話し続けたこと。そして何度も、「自分はなかひらさんの質問に答えただけ」という旨のことを謙虚に語っていたこと。さすがに後半は立ち続ける姿に、司会の方が冗談にまぎらわせつつ制したけれども、いきなり本題に入りつつの語り口には、胸をうたれるものがあった。

 もちろん、小野田氏の話の受け取りかたは会場の方それぞれで、これは私の感じ方でしかない。
 けれども、その話の核心は、「負けないたたかい」という言葉に示された、紀州人のしなやかさにあったように思う。

 『日本書記』の記述と異なり、神武東征において名草戸畔は殺されたが、名草軍としては降伏していなかった。神武軍は紀ノ川をのぼることができず、海上ルートを用いて熊野に向かうことになる。国懸(くにかかす)と日前(にちぜん)が統治にやってきたとき、中央集権を押し進めようとする国懸は評判が悪い。結局統治できずに国懸は大和に帰る。紀州人は世襲を嫌い、その時々に向いた人がリーダーになる。ここからコレヒドール戦における和歌山61連隊の闘いに。聞いていると無理なく古代史と現代史が接続してく。
 講演会の最中は、もう話に聞き惚れていたし、予定時間もあっという間でした。最後に、講演会場に来れなかった郷土史家の小藪氏のご子息による氏のメッセージの代読には、しんとこころをうつものがあった

 紀州人は、「まつろわない民」だと、その後の和歌山滞在の中でも何度か聞いた。
 けれども、講演会を聞きながら、私はそれこそ、日本の列島民の本質なのではないかと、考えをめぐらせていた。「お上」というものは、いちおうは奉っておくが、余計なことさえしなければいい。良い提案は誰がしてもよいし、世襲にもこだわらない。そしてなによりも、自然に対する畏怖とともに暮らしている。中央の人々こそ、大地から切断されている。サイレント・マジョリティとは、いつもしなやかなものだ。

 講演会が引けたあと、宿に荷物をあずけたあと、知り合った方々と根来寺を見てまわり、なかひらさんを囲む会の末席に参加させていただく事になった。すばらしい参加者たちで愉しい。そのあと、私は宿の中で自身の理論についても考えていた。「メタ理論」というが、学者や研究者、声の高い実践者より、こうした庶民のほうが、ずうっと「しなやか」だったのではないか。コレヒドールにおいて和歌山県人の連隊の仲間たちが各々の局面で得意分野で助け合い、古代から世襲や中央集権システムがとられてこなかったのも、制度的硬直を嫌い、その都度性を発揮してリーダーを選出する柔軟な感性があったからではないか。学者や専門家や一部の「スピリチュアル」が硬直した自己の世界観に自閉して争い、学際や越境する対話の必要性は説かれて久しいし、優れたメタ理論もある。しかしその立ち上げた「立場」が、もうひとつの「立場」になってしまうことも否めない。ずっと自問してきた。なぜ、そうなってしまうのか。むしろ学ぶべきは、こうした、しなやかで力強い感性ではないか。

 しばしば「日本人」の硬直性が指摘されることが文化論ではありますが、ここはそれとは大きく異なる、素朴な信仰に生きつつも、「しなやかな民」の姿があるのだ。
 
 そしてここまで考えて、唐突だったが、昔から関心のあった南方熊楠のような人が、なぜ和歌山から出たのか、直観的に謎が解けたような気がした。
 けれども、この濃い旅は、ここからが始まりでした。(2)に続く。

 ※なかひらまいさんの近著は下にリンクしてあります。興味のある方は読んでみてください。
http://www.amazon.co.jp/%E5%90%8D%E8%8D%89%E6%88%B8%E7%95%94-%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E7%B4%80%E5%9B%BD%E3%81%AE%E5%A5%B3%E7%8E%8B%E4%BC%9D%E8%AA%AC%E3%80%9C%E5%A2%97%E8%A3%9C%E6%94%B9%E8%A8%82%E7%89%88%E3%80%9C-%E3%81%AA%E3%81%8B%E3%81%B2%E3%82%89%E3%81%BE%E3%81%84/dp/4905273005/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1369222386&sr=1-1


 
posted by 甲田烈 at 00:09| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする